竹原慎二が膀胱がんで死去?!悪徳医師の病院は?伝説の強さ!
竹原慎二が膀胱がんで死去?!悪徳医師の病院は?伝説の強さ!
今回はガチンコファイトクラブで怖かった元プロボクサーの竹原慎二さんについて調べていきたいと思います。
竹原慎二さんといえば最近膀胱がんを患ってしまったと発表されましたが、
悪徳医師に騙されて発見が遅れたことを発言されました。
今回はそんな竹原慎二さんの膀胱がんのステージの状況や余命、悪徳医師の病院はどこなのか、
伝説的な強さを誇ったエピソードなどについて調べていきたいと思います。
それではまずは竹原慎二さんのプロフィールから。
竹原慎二
プロフィール
竹原慎二(たけはらしんじ)さんは生年月日が1972年1月25日で現在の年齢は44歳です。
1989年にプロボクサーとしてデビューし、1995年にミドル級世界王者。
しかし、1996年の初防衛戦で敗れた時に網膜剥離が判明し引退。
身長186㎝、体重86キロ、血液型A型。
学歴は府中小学校、府中中学校卒業。
高校進学を希望するものの、ヤンキーとして有名で4校すべての高校受験に失敗。
30代になった2005年に青森山田高校通信課程を卒業。
ボクシング引退後の1997年25歳で一般女性の香織さんと結婚。
2人の子供がいるそうです。
竹原慎二が膀胱がんで死去?!
竹原慎二さんが膀胱がんで死去という噂がありますが、死去というのはデマです。
しかし膀胱がんで闘病中だというのは真実ですので、
膀胱がんなった経緯や現在の状況について調べてみましょう。
竹原さんは初め頻尿がひどく病院へ行ったそうです。
しかしそこで診断されたのは膀胱炎という結果でした。
その後半年ほどすると尿道に痛みが走ります。
そこでまた診断をしに行くと今度は前立腺炎です。と診断されました。
さらに半年後になると真っ赤な尿が出た為、今回はさすがにヤバいと別の病院へ。
そして診断された結果はステージ3~4の膀胱がんという衝撃の診断でした。
リンパ節への転移もしているほどの深刻な状況で、手術や抗がん剤などの治療を施しました。
その結果、回復傾向にありますが、現在も通院をしながら経過を観察しているところです。
浸潤性膀胱がんだと医者に告げられた時は頭が真っ白になり、
「もう死ぬんだ。無理だ、病気には勝てない」
と毎日泣いていたそうです。
しかし、奥さんは懸命にサポートしあらゆる治療法を試してくれました。
またボクシングジムを共同で経営している畑山隆則さんもいい病院を探し回ってくれたそうです。
畑山隆則
そのサポートや抗がん剤、2度にわたる手術などにかかった金額は1000万円を超える額だそうです。
現在はその甲斐あって抗がん剤も必要なくなり、経過は順調なようです。
気になる余命宣告ですが、当初は「5年後の生存確率は40%以下」と言われたそうです。
通常ガンのステージが1なら5年後の生存率95%、ステージ2なら80%、
ステージ3は50%前後、ステージ4は30%前後と言われています。
最初診断した医師がもっと詳しく検査してくれていたら
早期発見が可能だったかもしれませんね。
竹原さんも「医者を信じすぎてはいけません」と体験談を語っています。
一度お医者さんに診てもらっても、おかしいなと感じたらセカンドオピニオン受診する事も重要ですね。
セカンドオピニオンとは?
医師の診断や治療法について、患者が別の医師の意見を求めること。
引用元:コトバンク
悪徳医師の病院は?どこ?
竹原慎二さんの膀胱がんを見つけられなかった病院の医師が悪徳医師だとしてどこの病院か検索されているようです。
竹原さんは1度目と2度目を町医者に診てもらったそうですが、
どこの病院で受診したのかは公表していません。
噂では内科を受診したのではと言われていますが、もし内科だったら先生の専門外ですよね。
それで悪徳医師なんて言われたらたまったもんじゃありません。
尿の心配だったら泌尿器科のある病院に行かなくてはいけません。
竹原さんも最初に受診した医師が悪徳医師などと発言されてませんので、あまり詮索しないようにしましょう。
さて、竹原さんが手術や入院し、畑山隆則さんが探してくれた病院ですが、
東京大学医学部付属病院だと言われています。
ちなみにこの病院は地域がん診察連携拠点病院に指定されており、がんの相談や支援も行うセンターだそうです。
やっぱり東大の大学病院が日本の最先端なのでしょうか。
膀胱を全摘出しないでも済むような手術を行ってくれたそうです。
手術から半年後の検査でも転移や再発は無かったようです。
一安心できましたね。
竹原慎二の伝説の強さ!引退の理由は?
竹原慎二さんの伝説ともいえる強さを紹介します。
なぜ、竹原さんが伝説と言われているかというと竹原さんがチャンピオンになった階級がミドル級だからです。
上から約90キロ以上のヘビー級、クルーザー級、ライトヘビー級、スーパーミドル級、ミドル級の順で階級があるんですが、日本人の最重量が竹原さんです。
ちなみにミドル級は72キロ以下、
輪島功一さんはその一つ下のスーパーウェルター級で69キロ以下です。
それまで日本人がミドル級以上で世界チャンピオンは現れる事はないと言われていました。
そのくらい重量級は世界の壁が高かったのです。
しかも竹原さんがチャンピオンベルトを挑戦したのはホルヘ・カストロ。
アマチュア時代~プロ通じて104試合負けなし、しかもダウンした事すらないというこちらも伝説的な選手でした。
当然下馬評はホルヘ・カストロの圧倒的有利でしたが、
なんと竹原さんはカストロに初めてダウンを喰らわせ、勝ってしまったのです。
この伝説と言われる強さが分かりますでしょうか。
しかし初の防衛戦でまさかのノックアウト負け。
まだ24歳でしたが網膜剥離により引退を余儀なくされました。
プロボクサーとしての通算成績は25戦24勝1敗。18KO。
今でも生きる伝説として君臨し続ける存在ですね。
そんな竹原慎二さんの現役時代の動画がありましたのでどうぞ
↓↓↓
今回は元プロボクサーの竹原慎二さんについて調べてみました。
膀胱がんというのは事実でしたが、死去はしていません。
余命宣告もされましたが、がんはすっかりなくなり、死去などの心配はなさそうです。
悪徳医師と呼ばれる医者の病院は分かりませんでしたが、
竹原さんが手術を受けた病院は東京大学医学部付属病院だという事がわかりました。
これからは同じ癌で悩んでいる人のために闘病日記を公開してくれるそうです。
どのような体験をされたのか気になりますね。
竹原さんの伝説的な強さについても調べました。
網膜剥離さえなければ伝説はもっと続いたでしょうね。
最近は体に気を遣うようになったという竹原さんですが、
支えてくれた奥さんのためにも今後も頑張ってもらいたいです。