赤井英和の息子がアメフト留学!?赤井の伝説と武勇伝とは?
赤井英和の息子がアメフト留学!?赤井の伝説と武勇伝とは?
現在では個性派俳優とうイメージが強い
赤井秀和さんですが
かつてはものすごいボクサーでしたね。
この事を世間で知らない人は多いのではないでしょうか。
最近はライザップのCMで話題ですが、
少しでもプロボクサーであった過去を知ってもらいたいと思い
調べてみたいと思います。
まずはプロフィールを紹介します。
赤井英和
プロフィール
赤井英和さんは
1959年8月17日生まれで現在の年齢は56歳。
大阪府出身で俳優、タレントであり元プロボクサーです。
身長178㎝、体重82㎏で
プランニングメイに所属しています。
ボクサーとして活躍し、
通称『浪速のロッキー』と呼ばれ世間を騒がせた後
俳優に転身しました。
現在では東京で俳優としての活動が主体で、
大阪ではバラエティーで活躍をしています。
最近はライザップのCMで話題ですよね!
結果にコミットするをうたう、
ダイエットを主目的とするトレーニングジムの名称、
及びその運営会社であるRIZAP株式会社のこと。
料金は2カ月で35万円ほどと非常に高額だが、
徹底したサポートで短期に結果を出すことを特色として打ち出している。
大々的なコマーシャルを展開し、多数の店舗を全国に次々と展開している。
陰鬱(いんうつ)な音楽をバックに肩をすぼめ腹を突き出した人物が回転し、
その後、軽快な音楽をバックに明暗の強いライトのもと日に焼けて引きしまった肉体美を披露する
というセンセーショナルなコマーシャルに、
元プロボクサーの赤井英和を始め多数の著名人を登場させて話題になった。
引用元 コトバンク
ライザップのCM
このCMは赤井さんがダイエットに成功されて
ものすごく印象に残るCMでしたよね!
ライザップの知名度もあがったと思います。
赤井秀和ボクシング伝説
プロボクサー時代は
「浪速のロッキー」としてファンに愛され、
また赤井自身もお客を沸かせるために
ハードパンチを繰り出し、打ちあいながら勝つ
というエンターテイメントを魅せてくれました。
浪速のロッキー時代
実力も十分でデビューから
12連続KO勝ち
という
日本記録
も打ち出しました。
その成績から
関西初の世界チャンピオンも期待されましたが、
1983年WBCスーパーライト級タイトルマッチで
アメリカのブルース・カリーに挑みましたが
7ラウンドKO負け…。
「公園のジャングルジムにサンドバッグを吊るして、
会長と二人三脚で
『関西初の世界チャンピオンになるんや』
と頑張ってきた。
勝てなかったのは……。
世界のリングに立てただけで満足してしまったんでしょうね。
負けはしたが、こっちのパンチもよく当たる。
これやったら、世界も遠くはないなと思えました」
引用元 ライブドアニュース
カリーとの試合後に
再び世界戦の再起をめざし、
1985年前哨戦を行います。
日本人の大和田正春選手との試合でしたが
7ラウンドKO負け。
しかも
脳内出血していまい、
生存率20%といわれた程の重症
となりました。
「やらんでええ試合やったんですわ。
世界戦の後、人間不信になるような酷いことがあって
もう辞めようかと思とったんです。
僕、一回失踪までしてるんです。
練習もろくにせんとリングに上がりましたから、
あれでは高校生にも負けてましたわ」
引用元 ライブドアニュース
と後に語られたそうです。
結局この試合でボクサー人生の幕を閉じ、リングを去りました。
最終結果としては
21戦19勝16KO2敗。
ボクサーとしても生きる伝説
となりました。
赤井英和さんの息子がアメフト留学?ボクシングは?親父譲り?
赤井英和さんの息子さんは
赤井英五郎さんといい、
アメフトでアメリカに留学していたという噂があります。
その真実を詳しく調べてみると、
留学したのは両親の判断で
将来のために英語を取得し
自然豊かな環境で育ってほしいためだったようです。
ちなみに息子の英五郎さんは
小学3年からラグビーを始め
小学6年の時アメリカに留学し、
中学・高校とラグビーをして過ごしました。
そして大学ではアメリカンフットボールとバスケットボールを経験して
大学を終え日本へ帰国しました。
アメフトにバスケとアメリカのメジャースポーツでならした体は大きく、
帰国する度に周囲からは絶対ボクシングしたら強いだろうに
と言われてきたそうです。
その『浪即のロッキー』の息子、英五郎さんが
父の存在を理由に避けていたボクシングですが
ボクシングだけ避けるのもプライドが許せないとの事で
ボクシングに挑戦しました!
赤井英和さんと息子
するとなんとデビューして2年余りの初戦で
昨年のインターハイ8強に勝つ
という金星をとりました。
その次も勝つと
全日本アマチュアボクシング選手権に出場。
実践3戦目となった試合でも勝ち、
金星を再び勝ち取りました。
アマ最高峰の全日本選手権にデビュー3戦目で
勝利なんて過去に無いと周りを驚かせました。
父親譲りのパワーがものすごい
との事です。
試合を初観戦した父英和さんは、
「よっしゃ!」
「ナイス!」
と無意識に声がもれていたようです。
自分自身が怪我して大変な事になったから為、
攻撃を喰らう度に息子が自分と同じような怪我をしたら
と不安になったそうです。
父英和さんはモスクワ五輪の代表候補だったが
東西冷戦のあおりを受けての
日本のボイコットよりオリンピック出場が断たれてしまいました。
オリンピックに出場出来なかった英和さんの分まで頑張って
2020年の東京五輪の選手になってほしいですね。
これからの活躍が楽しみです。
赤井英和さんの伝説の武勇伝とは?
現在では俳優をメインに活動されている
赤井英和さんですが
さまざまな伝説や武勇伝
があります。
学生時代は荒くれ者として
凄まじく数々の伝説を残しています。
赤井英和のヤンキー時代
喧嘩は弱いものには手を出さず、
各地域の強い人たちを探しては
かたっぱしから倒したそうです。
もちろん無敗。
その中でも一番有名なのは電車の話です。
座席に座っている態度の悪いヤンキーの足を蹴って周り、
向かってきた者には次の駅で降りろと指示をし、
扉が開いたら電車とホームの隙間に突き落として
大爆笑していたそうです。
それが集団であろうが
返り討ちにしてたそうです。
それが広まり電車で
態度が悪いヤンキーはいなくなった
そうです。
そんな赤井英和さんですが
お年寄りがいたら席を譲ったり、
座っていた人をどかしてまでお年寄りを座らせる
という優しい一面もあったそうです。
また仲間がやられるとすぐに駆けつけ、
カツアゲの現場をみればカツアゲしていた方を倒すなど、
情にも熱い人でその面倒見の良さも伝説として残っている
ようです。
まさにヒーローのような存在ですね。
今回は赤井秀和さんについて調べてみました。
アメフトをしていた息子の英五郎さんも
オリンピックを目指して
ボクシングを始められたということで楽しみな存在ですね。
また赤井さんの伝説もこれだけではなく
もっとたくさんあるようです。
今も伝説を残し続けられているとか。
今後も赤井さんの活躍に期待しましょう。